アンコール遺跡を巡る。

カンボジアの北西部、トンレサップ湖北岸のシェムリアップの北側にあったクメール王朝時代の遺跡群であり、

ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されている。

広範囲にわたって存在する遺跡を、私はアンコール・トム、タ・プローム、

アンコール・ワットに絞って巡ることにした。

Angkor Tom

かつて、城壁を囲む川にはワニがいたそうです。

タイプセブン/TYPE SEVEN

Bayon:人面像は観世菩薩像を模していて、人面像の数は当時の都市の数と表していたとされる。

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Ta Prohm:巨大なカジュロマの根が12世紀に建てられた寺院を飲み込むように共存。

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Angkor Wat:アンコール遺跡群の代表格、ヒンドゥー教寺院

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ところで、案内してくれたガイドのチョットさん39歳。

16歳から4年間カンボジアの内戦を経験。除隊後プノンペンで僧侶になり、

そこの寺院にいた日本人僧侶から日本語を教えてもらったらしい。

多くは語らないが、その後ろ姿からは独特の安心感を醸し出していた。

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カンボジアは近年まで戦争、内線を繰り返し、ポル・ポト率いるクメール・ルージュが支配

していた時代がある。

クメール・ルージュは、「都市住民の糧は都市住民自身に耕作させる」という視点から、

都市居住者、資本家、技術者、学者・知識人などから一切の財産・身分を剥奪し、

郊外の農村に強制移住させた。

彼らは農民として農業に従事させられ、多くが「反乱を起こす可能性がある」

という理由で処刑された。同じ民族同士が殺し合う大量虐殺。それが30年ほど前の話だ。

近代にそういう複雑な歴史をもつカンボジア。

現代の表の顔の裏には、確実に深い爪痕が残っている。

遺跡を巡り、その後東南アジア最大級トンレサップ湖での夕日を見に湖に向かう。

湖には土地を持てない低所得者たちが追われ、最終的にたどり着いた水上生活者が多数いる。

彼らの生活も一度目にしておきたかった。

街から15分足らずで舗装された道は終わり、荒れ果てた泥道がつづく。

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未舗装の道を進むこと30分。

いよいよ、トンレサップ湖が見えてきた。

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湖畔の船乗り場へ到着。

ここでボートに乗り換え、湖へ向かう。

子供の笑顔に安心したのもつかの間、この子達が40人乗りの船を運転するんです・・。

生きる底力を感じざる終えない。

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数百メートル川を走行。

川岸には・・水上生活者の水上家屋が多数・・・様々である。

教会、医療施設、飲食店、警察署まで。

そこに生活がある・・。

ガイドの説明では皆、その日暮らし。 何も考えていない・・そうです。

湖水は、全て泥水。

私の体験では・・これだけ広ければ・・水は澄んでいる。

川魚なんて出されても食べる気がしない。

でも、不思議と水上生活者に貧しさは感じられない。

財は少ないけれど・・欲しいものはある。

欲しいと思わない・・その前に、日本人のような贅沢を知らない・・。
だから ストレスなしに・・・と、勝手な解釈をしてしまう。

大きい空、広大で何もない土地・・この大自然の空間がマイナスの発想を和らげているのだろうか・・。

とにかく・・貧困というイメージは伝わってこない。

観光で、ザッと見ただけ。
カンボジアの一地域のこの現状。

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数日が過ぎ、最終日。

恒例であるアマンリゾートでのランチ。

今回は「amansara」 。私にとってはインドネシア、モロッコに続き3件目のアマン。

アマンがある地は、宿泊はしないにせよ食事だけでも行こうと決めている。

あわよくば、ホテル内部の見学までお願いする。

理由はアマンのホスピタリティーは世界トップクラスであること。

その地域との関わりや土地の文化を尊重し、それをアマン流に浄化したデザインにしているからである。

全てのスケジュールを終え、夕暮れの中

最後のカンボジアの空気を感じながらトゥクトゥクで空港へ向かう。

現在のカンボジアは外資の力によって観光向けに素晴らしい発展を見せていた。

ただ、それは確実にまやかしにすぎない。

約30年前に全てをリセットせざる負えなかったカンボジアの人々。

でも、そんな深い傷を隠す様に、街には笑顔が溢れていた。

車の法定速度も免許証も年齢制限も、もちろん教習所もないカンボジア。

そんな何もかもが曖昧な現状の中で人々は力強く、たくましく生きていた。

無い事は、悲惨とは無関係。 それを実感した。

無くても、全く無いよりはある・・のだから。

結論を急ぐ必要は無い・・・。